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シナウス・クライメン戦争から現在へ──国内への政治的政策の在り方



970年に始まった二か国間での争い「シナウス・クライメン戦争」において、
隣国であるシナウスとの結び付きを強めるため、マイエンは大規模な援助を行っていた。


当初シナウスが優勢になり誰もがシナウスの勝利によって終結すると思っていたが、
ラプタの支援によりクライメンが急速に力をつけ始め、激しい戦いが長期に渡って続けられた。


少子化政策も順調に進んでいたと思われた我が国の政策にも陰りが見え始め、
そのため当初は移民や海外に対する「ばらまき支援」は国民の生活を圧迫し始めた。


国の経済状況や国民により数度行われたデモに配慮してか、
974年にシナウスへの支援は打ち切られ、疲弊したシナウスの敗戦によって戦争の幕は閉じられた。
この支援は国民には「マイエンの失策」と呼ばれている。



しかし敗戦したシナウスが徐々に立て直す一方、戦勝国であるクライメンが
この戦争を呼び水に終わらぬ内戦が始まり、今尚多くの死者や難民を生み出しているのは
何とも皮肉な話である。



マイエンの移民に対する支援の厚さはほとんど変わらず、国民の政府に対する不満は収まりそうにもない。
政府は国の課題である少子化問題への対策と言っているが、国民の生活を顧みない支援が
本当に国の将来のためになるか、甚だ疑問である──







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